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せんべい汁|青森県・南部地方

せんべい汁

南部せんべいを使った、南部藩ゆかりの郷土食

鶏肉や野菜の入った醤油ベースの汁に小麦粉を原料にした南部せんべいを割り入れて煮込んだ「せんべい汁」は、近年「八戸せんべい汁研究所」というところが中心になって、2012年の「B-1グランプリ」のゴールドグランプリを獲得、八戸のB級グルメとして全国にも知られるようになった料理です。

せんべいを割り入れた鍋料理とは、何と画期的な…(笑)。ものぐさ者が家で作るにはぴったりではないか、などと不敵な思いをいだきながら、本場の味を覚えようと、いざ八戸へ行ってみることにしました。

JR八戸駅の改札を抜けると、さっそくせんべい汁の大きな横断幕が掲げられています。それに、続いて入った観光案内所でも「八戸に来たらせんべい汁は食べてください」なんていわれてしまうし…。B-1グランプリで全国1位が自慢の種なのか、地元での熱心なPRぶりや愛され度も他の食べ物に比べて群を抜いていて、ちょっと驚かされます。

南部せんべいを使うせんべい汁は、青森の東側の南部地方と、岩手の旧南部藩領で食べられてきた郷土料理。八戸は、かつては盛岡と並ぶ南部藩の主要な都市でした。誕生したのは、今から200以上前の江戸時代、天保の大飢饉のころだといわれています。

そんな事情から、青森県の西側で県庁所在地があり、旧津軽藩の領土だった津軽地方では、せんべい汁はそれほどポピュラーでなかったりします。食文化が違うのです。

そもそも南部藩と津軽藩は江戸時代には仲が悪かったのに、幕末の戊辰戦争で幕府側についた南部藩が、廃藩置県の際に新政府派の薩長から、半ばいやがらせに県をまたいで領地を分割され、津軽藩とくっつけられて青森県になったという経緯があります。ですので、同じ青森県でありながら、隔絶感もひとしおなのかもしれません。

司馬遼太郎の歴史紀行『歴史を紀行する』によると、八戸の人々は、そういった経緯から、いまだに津軽よりも岩手の方に親愛を寄せているといいます。

ちなみに岩手県の南部藩領も、同じく反新政府派だった伊達藩の一部がくっつけられたりと、辛苦を味わってきました。「白河以北一山百文」(「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」)と、東北を侮蔑していた薩長。盛岡人が敬愛する”平民宰相”こと原敬は、南部藩の武家の出身で、少年のころ祖父の切腹を目の当たりにしたこともあって薩長に怨念があり、”一山”という雅名を自らつけたという逸話も残っているほどです。

盛岡にしろ、八戸にしろ、そうした屈辱の歴史が南部藩の地の者の結束を固める一方で、人々の旧藩への思いを強くしてきたのでは、と思わずにはいられません。そういえば、旧南部藩領だった岩手の久慈を舞台にした2013年のNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」でも、”南部ダイバー”という歌が劇中に登場していましたっけ。

ヨーロッパあたりでは、南ドイツ人は、首都ベルリンのある北ドイツよりもオーストリアにシンパシーを感じる、などとミュンヘン出身の友人がいっていたのを思い出しました。これも青森と同様の感情なのでしょう。土地に根付いた文化のことを考慮すると、国分けと同じように都道府県分けもすんなり単純にはいかない、というわけです。

以上、余談が長くなりましたが、”南部”と名のつくものが、八戸の人のアイデンティティの奥底に息づいて思い入れをいだいていることを、少し頭に入れておくといいかもしれません。せんべい汁は、単にせんべいを汁で煮た料理ではないのです。

もっと厳密にいうなら、”南部鉄器”の鍋に”南部せんべい”と”南部鶏”を入れて食べてこそ、彼らのせんべい汁への本当の愛着が理解できるのではないでしょうか。

さて、八戸市内には200軒ものせんべい汁を食べさせてくれる店があるそうですが、そんなわけで、ぜひ南部鉄器と南部鶏を使っていて、さらに南部せんべいを自分で割り入れられる店を選びたいと思い、八戸の食の殿堂「八食センター」内にある「いちば亭」さんを訪ねました。こちらのお店は、上記の条件を満たしているほか、八戸せんべい汁研究所認定の”八戸せんべい汁おもてなしマイスター”もおられます。

1人前ごとに南部鉄器の鍋で供されるせんべい汁。南部鶏や菊の花、ねぎなどの具が入ったアツアツのその鍋に、南部せんべいを4等分くらいに割り入れていきます。あまり煮込み過ぎてせんべいがふにゃふにゃになってもおいしくないので、タイミングが肝心。それを小皿に移して少しずつハフハフしながら食べるのですが、とても温まって、おいしくいただきました。他に馬肉入りのせんべい汁もメニューにありましたが、鶏肉の方が一般的だそうです。

南部せんべいに、キリスト教のたねなしパン起源説?!

ここからはトンデモ話の一種だと思って読み流してください。あまりにも奇想天外な発想でおもしろいので(笑)、書いちゃいます。

八戸近郊の新郷村(旧戸来村)には、「キリストの墓」と呼ばれる不思議な遺跡があります。何でも地元の人々の間では、「ゴルゴダの丘で死んだのは弟のイスキリで、キリストは密かに日本の八戸に上陸して、戸来村で106歳の天寿をまっとうした」と信じられているそうで、毎年6月には、キリスト祭りという盆踊りのようなお祭りも行われているとか…。

あれれ、源義経が密かにモンゴルに逃げてチンギス・ハーンになったとか、近年ではエルヴィス・プレスリーは生きていたとか、似たような話が他にもありませんでしたっけ?(笑)。

それで、南部せんべいは、実はキリストが一緒に伝えた、たねなしパン(マッツァー)がもとになったのだそうです。まぁ、形は似ていますけど…。ならば、エルサレムのマッツァースープあたりが、せんべい汁の起源というわけでしょうか、ね。

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