島や地域によって、特徴的なそばも
小麦粉とかんすい(昔は木灰)、塩で作った中華風の麺を、昆布やかつお節などの和風だしのスープ(豚骨を使う店もある)で食べる「沖縄そば」は、文化的に中国、日本本土の影響を受けてきた、いかにも沖縄らしい料理です。沖縄では「すば」「うちなーすば」とも呼ばれて、本土のそば粉を使ったそばと区別しています。
沖縄そばは、1972年に沖縄が本土復帰してから4年後の1976年に、そば粉を使っていないのに「そば」と呼ぶのは表示違反だと日本の公正取引委員会から指摘され、名称が存続の危機にさらされたこともありました。そこで「沖縄の食文化を変えてはならない」とばかりに当時設立された沖縄生麺協同組合が奮闘。公正取引委員会に折衝を続けた結果、晴れて認可を受け、当日の10月17日は「沖縄そばの日」と制定されました。
県内の沖縄そば店では、毎年この日に、さまざまな記念イベントが行われています。そんな経緯からも、沖縄そばは、まさに地元の人々に愛されてきた沖縄のソウルフードともいえそうです。
さて、ひとことで沖縄そばといっても、島によってちょっとした違いがあるようで、大まかには、沖縄本島の平麺またはちぢれ麺とあっさりスープの沖縄そば、石垣島のある八重山群島の、丸麺とあっさりスープの八重山そば、宮古島の、平麺とややこってりしたスープの宮古そばの3つに分けられます。
さらに沖縄本島では、地域により独自の名称があったり、特徴を打ち出しているそばもあります。以下、沖縄県内でいろいろ食べ歩いてきましたので、いくつかご紹介しましょう。
貴族好みの味?首里のそば
まずは首里そば(上写真)。といっても、ひとつのお店の名称なのですが。琉球王朝の王城だった首里城跡の近くにある有名店です。沖縄の人と話していると、どうやら首里の人(しゅりんちゅ)という響きの中には、琉球王朝の元貴族で、現在は那覇市内にありながらも、那覇の人とは違うという気位の高い人といった意味合いが含まれているようで…。そのためか、首里そばの方も、那覇で食べる沖縄そばとはちょっと違っていて、かなりあっさりした薄味、かつ上品な味わいでした。
古今東西、上流階級に属する人ほどあっさりした薄味を好み、労働者の人々は、汗で失われた塩分を補うために塩辛くてこってりした食べ物を好む傾向があるかと思います。首里のタクシー運転手さんが「あの店は地元の人は行かないの。もっと安くておいしいお店があるのよ」などといっていたのも何となくわかるような…。そんな意味でも、首里らしいそばといえるかもしれません。
沖縄そばの発祥地ともいわれる与那原(よなばる)のそば
次は、与那原(よなばる)そば。戦前に軽便鉄道の駅があったりするなど沖縄南部の交通の要所だった与那原は、かつては沖縄そばの店が立ち並び、一説によると沖縄そばの発祥地ともいわれています。
与那原には現在もそばのお店がいくつか点在していましたが、どこも典型的な沖縄そばで、かつおだしと豚だしをミックスしたスープに、店によってちぢれ麺か平麺、またあっさり味かこってり味かが選べたりする程度で、これといった特徴はわかりませんでした。
ソーキそばの発祥地・名護のそば
沖縄本島の中でもっとも特徴的なのは、名護そばでしょう。名護は豚の骨付き肉(ソーキ)の煮込みをトッピングしたソーキそばの発祥地で、たいていのお店でソーキそばをメニューのトップにあげていました。
中でもソーキそばの元祖といわれる店が、名護市内や本島全域にチェーン店を展開している「我部祖河(がぶそか)食堂」。昭和41年に、当時精肉店を一緒に経営していた現会長が、残った肉をおいしく食べる方法を考えていたところ発明したのだそうです。なお、名護にある別店「丸隆そば」がソーキそばの元祖だという説もあります。
お肉どっさりのボリューミーな沖縄そばは、元気になりたいときにぴったりです。我部祖河食堂ではソーキの煮つけにもしっかりと味がしみていておいしく、むむ、やるな、という感じでした。
以下、他の名護のそば店です。
石垣島、宮古島…沖縄の離島の特徴あるそば
今回は沖縄本島のみの旅でしたので、実際に現地に行けなかったのですが、以下は東京にある石垣島料理店、および宮古島料理のお店でいただいたそばです。
オーナーが石垣島のご出身。まさに、丸麺にあっさり味のスープ。豚肉は三枚肉の塊ではなく、細切れで、また大根がトッピングされていて、さらにヘルシーな感じでした。沖縄そばに付き物の紅しょうがのトッピングはありませんでした。
社長さんが宮古島のご出身だそうです。沖縄そばにしてはかなりこってり系なスープに、小麦粉の平麺。これはこれでおいしいですね。
これらのほかにも、大東諸島の大東そばや、久米島の久米島そばといった特徴ある沖縄そばがあるようですので、また折を見てリポートしたいと思います。