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すべては「ニコラス・ピザハウス」から始まった「東京の南西部の港区に、六本木という古い住宅街があった。北は乃木神社、米軍ハーディ兵舎から、南はロシア大使館、アメリカンクラブにいたる、全長およそ1キロの道路をはさんで広がる地域だ。道路沿いには、そば屋、喫茶店、花屋など、店頭にガラスを張りめぐらした低層の店舗が、ずらりと軒を連ねている。その裏手に隠れるように、瓦葺きのダークブラウンの洋館が、幾重にもわたって建っている。ここに住んでいるのは、おもに外国人ビジネスマンや外交官とその家族だ。... やがてこの地域が、国際的な夜遊びのメッカへと塗り替えられる。しかし当時はまだ、その気配さえもうかがえなかった。六本木交差点は、今でこそ世界屈指の繁華街だが、当時は派出所と、小さな書店が一軒と、広い空き地が二ヶ所あるばかり。夜ともなれば、裏道は人っ子一人見あたらず、"幽霊が出る"と住人が噂するほど閑散としていた」...。 |
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経営者は代わったものの、今も名だけ残している「ニコラス」(開店当初は「ニコラス・ピザハウス」)の創設者、故ニコラ・ザペッティの半生を戦後の東京の闇とともに描いた、ロバート・ホワイティングの秀著『東京アンダーワールド』には、昭和20年代後半の六本木の様子がこんな風に描かれています。 六本木は、古く江戸時代には、寺や武家屋敷が立ち並ぶ町で、明治時代に入って武家屋敷は各国の大、公使館や高級住宅地に変わり、龍土町にあった日本の帝国陸軍歩兵部隊の本部は、戦後しばらく米軍の兵舎となりました。 1954年、宝石泥棒の罪で投獄され、出所後の再出発を考えていた元GIのザペッティは、国際人がひしめく六本木に目をつけて、自分のルーツであるイタリア料理のレストラン「ニコラス・ピザハウス」をオープンさせます。当時はまだまだ物資不足で、まともな西洋料理を食べさせるレストランが少なかった時代。「ニコラス」の本格派のアメリカ風の丸いピザや、スパゲッティ、ラザニアは、故郷の味に飢えていたアメリカ人や、好奇心旺盛な日本人を惹きつけ、大評判を呼びました。 昭和30年代は、「ニコラス」がもっとも華やかだった時代でした。フランク・シナトラやエリザベス・テイラー、ジョン・ウェイン、エヴァ・ガードナーら、ロケで日本にやってきたハリウッドの超一流スターをはじめ、プロレスや球界のスター選手、そして、現天皇陛下と美智子様など、そうそうたる人々がお店を来訪。六本木はピザの代名詞とも呼ばれました。まさに「ニコラス」の成功が、今に続く"セレブリティが集う、時代の最先端をいくレストラン・スポット"としての六本木の礎を築いたといえそうです。 さらに、昭和34年のNETテレビ(現テレビ朝日)の開局や、地下鉄日比谷線の開通がそれに火をつけたカタチに。六本木は、世界でも指折りの、ハイセンスな飲食店がひしめく繁華街に変貌していったのでした。
「ザ・ハンバーガー・イン」と「シシリア」しかしながら、六本木の斬新なレストランのルーツは、「ニコラス」よりも少し早くオープンした、、「ザ・ハンバーガー・イン」や「シシリア」かもしれません。 現在、六本木にある「ニコラス・ピザハウス」は経営者が変わり、形態も変わっていますが、「シシリア」は、オープン当初からの伝統を地道に残して営業を続けています。 「ザ・ハンバーガー・イン」(2005年にいったんその長い歴史の幕を閉じ、2007年5月に西麻布に移転して別経営者により復活)は、「マクドナルド」が日本に進出するはるか昔から、アメリカのダイナー風な店構えでハンバーガーをメニューにそろえていました。昭和40年に現在のロアビル前に店舗を移転しましたが、お店の雰囲気屋メニューは、1950年のオープン当初から2005年の閉店時まで、ほとんど変わっていなかったといいます(現在の店舗になってからは、多少アレンジが加わったようです)。 また、地元・麻布出身の堀井克英さんがオープンさせた「シシリア」は、今も昔も、薄くて四角くいピザが名物。元潜水艦で働いていたという初代のイタリア人シェフが、潜水艦の中で作っていたピザをそっくり持ち込んだのだそうです。「シシリア」も近年、店舗を移転しましたが、落書きだらけの地下のフロアなど、開店当時の雰囲気は今も健在です。
そのほかの六本木のランドマーク・レストラン・複合ビルキャンティ飯倉本店
瀬里奈 おつな寿司 龍土軒 六本木食堂(閉店) 西川治兵衛の店(閉店) 六本木ヒルズ 東京ミッドタウン ■こちらも参考に... ・六本木の歴史(ラクティブ六本木) |
